7月20日 木曜日
夏休み始まります。
今日はお昼に子どもたちが帰ってくるので、お昼ご飯を作ってお迎えに行きます。
今日は、カレーライスの予定でしたが・・・
なんと!!昨日の給食がカレーライスだったので急遽、ハッシュドビーフに変更。
さあ・・・ひと夏、元気に楽しく突っ走ります!!
長崎市住吉町にある脳トレ教室
夏休み始まります。
今日はお昼に子どもたちが帰ってくるので、お昼ご飯を作ってお迎えに行きます。
今日は、カレーライスの予定でしたが・・・
なんと!!昨日の給食がカレーライスだったので急遽、ハッシュドビーフに変更。
さあ・・・ひと夏、元気に楽しく突っ走ります!!
今週は大島でのお仕事が多かったので、長崎のポストを今日開きました。
なんと!!17年前に卒業したお子さまのお母様からお手紙が届いていました。
私が、発達テストのことをブログに書いていたのを読んでいただいたみたいで、あの頃の指導があり今のお子様の学力や人間性の土台ができたとお褒めを頂きました。
現在、東京医科歯科大学の医学部に在籍されているそうで、当時受講された発達検査の結果表も同封されていました。17年間も大切に保管していただき感激です。
そう言う資料を大切に保管される保護者様ですから、お子さまのサポートもしっかりされたのだと思います。
春休みにお会いできるのが楽しみです。 続けていてよかったと思う瞬間です。
今週は、雪が降ったり、道が凍結したりでなかなか長崎へ行く事ができませんでした。
大島に引っ越して、通勤時間が長いことは全く苦にならなかったのですが…雪・凍結・濃霧・強風・・・
これは、どうしようもなく・・・これから少し対策を考えないといけないです。
年々そういう日が増えているような気がします。
地球に優しくしてあげないといけないですね。住まわせていただいているのですからね。
山の学校の子どもたちは、今「ありがとう」の笑い文字を書く事にはまっています。
昨日は、交番へ 「いつも見守ってもらっているよね。」だから、「ありがとう」を渡しに行こう…
こんな感じで書いてはすぐにお渡しに行きます。
で、今日は、消防署の隊員の皆さん
熱中症だったり、コロナだったりいつもより大変なお仕事をしているから「ありがとう」をわたしにいこう!!
今までは、「ありがとう」の場面だと分かっていてもなかなか言葉で言えていなかったのに・・
ありがとうが書けるようになったら、書く事やお渡しすることが楽しくなって・・・
おまけに、お渡しした方々がすごく喜んでくれるので、一番最初は、「どうぞどうぞ」って他の人に一番最初に渡す順番を譲っていたのに・・・今は、もう一番に渡したい。
みんなが「ありがとう」を伝える喜びでいい笑顔
感謝と喜びがいい具合の循環し始めましたよ。
今日も昨日に引き続き一番下の孫が遊びに来ました。
私の母が亡くなってから、ばあばは長生きしてね。とずっと気遣ってくれます。
人の臨終に初めて立ち会ったので小さいながらもいろいろ心が揺れたのでしょうね。
そして、お盆でご先祖様のことをお話したり、お坊様の話を聞いて神妙な顔になります。
今日は、3日間の御仏飯やお供え物をコモに包んで2人で流しに行きました。
遠くに流れていくまで「また明日ね。」とちょっと勘違いしていましたが・・・
可愛い孫です。
さあ!!大島の山の学校は明日から夏休み後半戦です。
住吉教室は、17日までお休みになりましたが、コロナや熱中症に十分気を付けてくださいね。
今日は、母と最期のお別れです。
小学2年生のリセは、人が亡くなるということも今回のことで分かったようです。
りせは、母のことを時津のおばあちゃんと言ってとてもなついていました。そして、何通も何通もお手紙を書いて時には切手を貼って出したり、私が届けたりして、リセからのお手紙は母の楽しみになっていました。
そんなリセは、安置してある母のそばでずっと顔をなでたり、頭をなでたり、お線香をたてたり・・・
ほんと大好きな時津のおばあちゃんだったのですね。
葬儀が終わって家族でのお別れの時、家族代表で「おばあちゃんありがとう。大好きだよ。」とあいさつをしてくれました。
本当におばあちゃんが大好きだったんだね。
母が息をひきとったのは、前日の午後7時前でしたからいろんな処置をして病院を出たのは午後9時前でした。
母は、長与町にある徳洲会病院という所にお世話になったのですが、転居したばかりのとてもきれいな病院で、お医者さんや看護師さんとても優しくて、ほかの患者さん方とお話されているのを聞いていても、心がほっとする感じを受けました。
母の最期をこの病院で迎えられたのは、きっと母がこれまで自分の人生を一生懸命生きてきたご褒美なのだと思いました。
そして、斎場に移ってからも母の顔を眺めながら一晩中お線香の番を母の初めてのひ孫の里菜と一緒につとめました。
母も一晩中穏かな顔で眠っていました。
母のことは気になるものの、自分の仕事を淡々とすることにして大島の子どもたちと一日活動をしてさようならの時間に、「できるだけ早く来て。」と連絡がありました。
子どもたちにさようならをして急いで病院へ向かいました。
車でむかっている間、昨日帰り際に「またすぐ来るからね。来るまで待っててね。」と声をかけてきました。
母は、目を閉じたまま話もできない状態でしたが、ちゃんと聞こえているように私の手をギューッと握ってくれました。
きっと待ってくれているのだろうなあ…と思いながらも、ありがとうが間に合わなかったら後悔しそうだったので、運転しながら音声メッセージを入れて母の枕元にいる弟に送信して私のメッセージを母に聞いてもらいました。
母は、私のメッセージを聞くと安心したように息をひきとったそうです。後1分という所でしたが、ちゃんと母に感謝を伝えることができ母もちゃんとそれを聞いて安心して旅立ってくれたこと本当に良かったです。病室で見た母の顔は穏やかでした。
67年間私のお母さんでいてくれてありがとう。
皆様から山の学校の子どもたちに差し入れが届いています。
嬉しいですね。
子どもたちもきっと大喜びだと思います。
「ありがとう」の気持ちを大切にこの夏もいろいろな人と感謝と喜びで繋がれるといいなあと思います。
子どもたちの為にお心遣いをありがとうございます。