3月15日水曜日
勉強は本来楽しいもの
聖徳小学校を卒業した東大合格者の多くが、子どもの頃、両親から「勉強をしなさい。」と言われた経験がありません。
つまり、子どもたちにとって強制された勉強は意欲を削がれるということなのでしょう。
勉強が義務になると効果は著しく下がります。
「中間試験が近いからそろそろ勉強しようか」
「もうすぐ夏休みが終わるし、そろそろしないといけないかな」
こうした義務的な思考は勉強に対する姿勢を後ろ向きにしてしまい、ますます進みが遅くなります。
ましてや、親御さんが「勉強しなさい。」と注意すると子どもはさらにやる気を失ってしまうものです。
自分が知りたいことを知って満足感を得る。自分が興味あることを手に入れて驚いたり、感心したりする。その積み重ねが勉強です。
「どうして空は青いんだろうね。」「なぜ、雨が降るのだろう?」子どもの頃はだれしもこうした疑問を持つはずです。多くの人が年齢と共に興味を失いがちになりますが、気になって調べるとそれ自体が学習になっていきます。
理想は、本人が意識しないまま勉強になっていることなのです。
私の感想
手前味噌ですが、我が家の長男 まさしくこのタイプです。
3歳になるまでほとんど言葉が出ず、私の両親がとても心配してくれて、特に母は、お天気のいい日には毎日庭に出て、草取りをしながら草や木の名前、石ころを集めながら数遊び、葉っぱを拾いながら大きさ比べ・・・
父は、山菜摘みに出かけるといろいろな葉っぱを見ては、薬になる葉や食べられる葉っぱ等を丁寧に教えてくれました。
そんな刺激的な毎日が脳を刺激し、あっと言う間に言葉で出たかと思うと、教えてもいないアルファベットで書かれたお店のロゴを読んだり、その当時はやっていた新幹線の駅名を覚えて言ったり…
驚かされました。 小学校に入ってからも全く勉強しなさいと言ったことはなく、生活の中でいろんなことを楽しんで知識として蓄えていました。
みんなで食事に行くと、注文してる端から代金の合計をしていたり、ちょうどファミコンが出だしたときでしたが、やってても時間が来るとちゃんと辞めることができて「ゲームばかりしないで」と注意した覚えもありません。
小学校も何の準備もしないまま、小学校受験をしてみたのですが合格してそのまま中学まで通い、高校は、県立高校へ入学。
高校入試の時は、数学は満点だったと自己採点して云ってたかと思うと高校から電話があり…不合格かとドキッとしたのですが…なんと新入生代表で挨拶をと言うお話をいただき・・・
それまであまり成績のことなど気にしたことがなかったのですが、その時だけは本当にこの子は誰の子?と驚きました。
普段は、全く勉強しているところをみないのですが、結果は出してくれるので私から勉強をしなさいと言ったことはありませんでした。
みんな、父や母のおかげです。生活の中で学習する習慣をつけていたおかげです。
大学進学の時に、当時のセンター試験で得意の数学で思うような点数を取れず、京都大学に行きたかったのですが、担任の先生から他の国立大に変えて受験するように言われました。
でも、本人は、来年は合格できるから1年勉強させてください。と言われ・・・長い人生の中の1年いろんな経験が人としての成長にもなるだろうと思い、応援することにしました。
そして、次の年、京都大学に合格しました。と書くと、その1年必死で勉強したんだろうって思われるでしょう。それが本当にマイペースで・・・大丈夫かな?と内心ひやひやな時期もあったのですよ。本人の前ではいたって冷静な母を装っていましたが…
自分の子育てでこんなことを経験したので、私は、知能教育を受けたお子さまは、東大や京大に行ける力を養うことができると信じているのです。(東大や京大に行くことを推奨している訳ではありません。学科によってはもっとレベルの高い大学がありますが、分かりやすいので・・・)
幼少期の過ごし方が本当に大事です。